君は・・・そして僕の世界の定義は・・・

君は世界が変わらないようにと祈りを捧げた。それは、とっても寒い日の事で、心の熱までも奪っていきそうなくらい、頬が痛くなるくらいに寒い日の事だった。

世界が変わらないように・・・

君はいつまでも祈りを捧げていた。でも、それは誰もためのものなのだろう。世界が変わらないことで、何が得られるというのだろうか?得る事もなく、無くなることもない虚無の世界を望むという事なのであろうか?

僕には君が祈り捧げいる対象があまりよく理解をする事が出来なかった。哲学的な意味があるのかもしれないけれども、実はもっとシンプルな事なのかもしれないとも思うのだが、僕には全く検討がつかなかった。

君と、僕では世界の捉え方は随分違っていて、知覚をしている世界が随分異なるのかもしれないと思いはじめたのは、君の祈りの意味を考えるようになってからだった。

君という人、僕という概念

君という人を認識して、僕はこの世界に存在をしている。でも、それは本質的ではない。それが当たり前であると思って生きているけれども、君という人の存在というのは、そもそもは僕の記憶でしかないのだ。

そして、僕自身が僕と定義をしているものは、外部から与えられる情報によって自分を定義して、そしてある程度の制約を加えることによって、自分というものを定義し、存在をしていると思い込んでいるのである。

僕の知っている君のデーターを元にして、君が存在をしている事を、本当に証明をする事が出来るだろうか?論理額的には説明はつくのかもしれない。けれども、本当にそれは証明をしたことになるのだろうか?

合わせ鏡のように、問題は延々と続いていくもので、この世界は何次元にも広がっているのではないのだろうか?瞬間、瞬間の間に、時空があり、そこは隙間があって、それを我々人間が認識を出来ないだけの事で、我々は連続した時空、時間を連続的に見えるというだけでの事ではないだろうか。

映像編集の際にコマ送りに出来るように、ただ、1コマの間を認識が出来ないだけで、連続をしていると思い込んでいるだけなのではないだろうか。

僕は何から紐解いていけば良いのか?

僕は何から紐解いていけば最善であり、自分が納得するのかという事を考える事にした。何かしらこの生きづらい世界の中で、自分が何をしていけば良いのかという事をよくよく考えるきっかけを世界の認識を考えるという事から、付随した問題であった。

整合性をとり前後のつながりを意識していかなければ、人間の意識というのはうまく繋がっていかないし、精神的に不安定になってしまう。だからこそ、僕はこの問題に対して整合性をとって説明をする必要があるのだ。それは自分自身にとって、もう一人の自分に対して語りかける事と同様の事なのである。

ある朝のこと

ある朝の事、君と僕は、世界について語り合っていた。寒けれども、爽やかで気持ち良い朝でだった。

君と僕は二人で暮らしている。君と僕は婚姻をしているわけではない。ただ、二人でいるのだ。互いに世界を定義している最中の人間同士であって、奇妙な人間としての信頼を置いていた。それは、脆いものかもしれないが、知的な存在をしての人間同士を感じる事が出来る確かな存在であった。

君という人は今、大学で論文を執筆している最中で28歳という年齢だった。若いと言えば若いし、若くないと言えば若くない年齢だ。僕はその4つ上の32歳。互いに良い年齢であると言えばよい年齢である。

 

「論文の執筆はどう?」と僕は君に聞いた。

「問題ないわ。あなたの仕事は最近も調子が良いの?」と彼女は言い、コーヒーを一口飲んだ。

「僕の方は何も変わらないよ。会社は会社でうまく回っている。僕が行うのはマーケティングと、ある程度のインターネット上の作業だから」と。

「情報による自己定義と存在認識における個人世界の形成が、まさしくあなたの仕事よね」と君は言った。

「そうかもしれないね。情報を与える事で、それが存在をしているという事になるからね。そして、その情報を受取った人は、それが現実に存在するものと認識をするようになる。そして、その情報の中に現実の何かを解決するという要素の情報があれば、自分の置かれた状況と与えられた情報を使い解決をしたいと切望をするようになるね。つまり、外部の情報から自己を定義する情報を与えられて自らそれになるという事に他ならないね」と僕は答えた。

 

君という人は本当に知的欲求を満たしてくれる。こんな朝の会話が僕は好きなのだ。そして、今日は君という人も、僕も休日で、のんびり過ごすのだ。二人の時間があえば、ずっと穏やかに、こう言った会話をしている。議論というか、認識の違いを互いに理解をしながら、また定義を変えた際の世界の見え方についてを延々と終わることない、解が得られるような得られないようなふわふわしたものを互いに真剣に穏やかに話をするのだ。

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