Cryonics ~ 時間を越えて君と 2011-10-29
「ごめん。僕は医者でありながら、科学者でありながら君の疾患を治療することは出来ないんだ」と君の手を握り締めて
僕は涙を流した。君は何も言わなかった。でも、その握り締めた手はまだ温かくて、生きているのだ。
「時間が止められたら」と・・・僕は思った。その時、僕の脳裏に一つのアイディアが生まれたのだ。
それは最後の望みで、自分自身が人間であるという事を辞める事に等しい行為のように思えたが、君を失いたくないという
想いと、医学と科学が融合した結論だった。
Cryonics 人体冷凍保存。
君を冷凍保存する。この疾患の治療方法が確立されるまでの間君を冷凍保存する。
そして僕は人間であるということ、自然の摂理を越えた。僕は神様を越えようとした。君を失いたくないという想いだけでそれが曲がった愛情であろうとも、僕は君を失いたくなかったのだ。
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現在の医学と科学では君の疾患を治療することは不可能だった。その疾患は原因不明であるし、はっきりとしたことも分からずに僅かな可能性にかけるような治療方法しかなく、その治療方法は患者に対してかなりの苦痛を強いる結果となることを僕は臨床の現場で何度も目にしていたからこそ、君にそれを使う事だけは避けたかったのだ。
どうせなら、残された時間を有意義に過ごしてもらいたい、と願うのが僕の精一杯だったけれど、君は「可能性があるのならその治療をする」と「病気になんか負けないよ」と笑うようなそんな人だから、僕はその治療がある事を君には言わなかったのだ。
しかし僕は思いついてしまった。正確に言えば思い出してしまったのだ。アメリカの民間の会社の中に、人間を冷凍保存している企業があること。そして、動物を冷凍しその蘇生に成功した教授が居ることを、僕は思い出してしまったのだ。
僕は決意した。君を冷凍保存しようと・・・。
君を冷凍保存するという事は、現行の日本法の中で僕は殺人者となる。刑法的な罰則も受けるだろう。医師倫理委員会にもかけられるだろう。
あくまでも、これがバレてしまったら・・・だが。
しかし、治療方法のない病魔に日々、命を削られてヤツれて、美しさを失っていくのに明るく振舞う君を見ているよりはずっといい。そして僕は君を冷凍保存した後、君のカラダを蝕んでいる病気の研究にこの生命を費やそう。
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僕は冷凍保存の技術で最も最高峰とされている友人の富士本幸久に理由を全て話し協力を仰ぐために大学の研究室に赴いた。
富士本の研究室に入ると「突然どうしたんだ、10年ぶりか?」と笑顔で近づいてきた。富士本は僕の只ならぬ真剣な表情から何かを感じたらしく、「コーヒーでも入れるから、そこのソファにかけててくれ」と言った。
僕は富士本に言われた、黒いソファにかけた。そして富士本がコーヒーの入ったカップを僕の分と、彼の分を両手で持って、僕の前の机に置くと向かい側のソファに座った。
僕は完結に、富士本に全てを話した。君の現在の状況と、僕の想いを全てを話した。包み隠さずに。
「高梨、お前の気持ちは分かるが、それは人間として間違っている」とは、富士本は静かな声で言った。
「分かってる。だが・・・彼女を失いたくない」と僕は真剣に真っ直ぐと富士本の目を見つめ返した。
富士本は大きな溜息をついて腕を組んで、数分の間、何かを考えるように瞳を閉じて俯いていた。その間も、僕は富士本の姿から目を離さなかった。
「高梨。お前は殺人者になるんだ。分かるか」と彼は僕の目を見ずに俯いたまま、そう言った。そして、法律の事、医師倫理委員会の事、そして彼女(君)の家族の事、僕自身の社会的地位についてのことを並べ、僕を思い留まらせようと説得をした。
富士本の言っていることはもっともな事だった。逮捕され裁判にかけられ罪が確定したら、研究だって出来ない。それに富士本自身の未来にも関わってくるし、社会的地位にも影響が出る可能性が極めて高いのだ。研究者としては絶望的な状況に追いやられる事は明白であった。
富士本は僕に向かって言った。
「高梨。お前の気持ちも分かるが、俺にも家族がいる。お前のこの計画を手伝ったとして、お前が捕まった、俺も共犯だ。実刑だろう。俺は、それに手を貸すことで全てを失うかもしれない。それに良心の呵責もある。俺だって医師国家試験は受かって臨床現場に居たんだ。高梨・・・お前の気持ちも分かるが俺の理解を越えている」と。
「僕は、それを承知で富士本、お前しかいなくて頼みに来たんだ」僕は静かにそう言った。ここで、富士本に断られてしまったら、彼女(君)を冷凍保存することは出来ないのだ。最も安全で、質の高い冷凍保存の研究はこの富士本の研究室が最高峰なのだから。
それに僕は知っている。富士本が根っからの研究者だという事を。研究と人情は別に考えているという事を。実際に人体を使用して冷凍保存の実験が出来るということは富士本にとっては危険であっても研究者である人格は、それをやりたくてたまらないはずなのだ。倫理とか、そんなものではなく、子どもように残酷で無邪気な探究者であるのだ。
現状、富士本は本物の人体で研究出来る機会なんて無いのだから。そこには医師として、科学者として純粋に研究をしたいという想いがあるはずなのだ。まるで子どもが無邪気に生き物を解剖をするような、そんな罪なき残酷な探求心があるはずなのだ。
富士本がそのような貪欲さを持っている事を知っていた。家族を持つ以前の富士本はかなりグレーのゾーンの部分まで研究のために踏み込んでいく人間だったのだ。そんな富士本の性格は本質的に今も変わっていないはずだ。
僕はそこに賭けた。そして、随分長い時間話した。
そして、富士本の研究者としての知的好奇心が倫理や道徳に勝った。「高梨・・・分かった。だが引き受ける条件がある。このデータは俺が全て引き受ける。お前の論文、学術研究としては一切しないという条件で、このデータに関して全て俺が管理するという事なら協力しよう。たとえ犯罪者になったとしてもだ」と家族を持つ前の貪欲な研究者としての鋭いまなざしを真っ直ぐに僕に返す富士本の姿がそこにあった。
それは、懐かしい、純粋無垢な本物の富士本の姿であった。
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僕と富士本は、君に睡眠薬を投薬し、大学病院から連れ出した。それは拍子抜けするほどに簡単な事だった。そして車に眠っている君を乗せ、富士本の大学の研究室に運んだ。
血液などを抜く医療器具は僕が用意をした。衛生面が多少心配ではあったが、冷凍保存してしまうのだからある程度の雑菌がいても感染症を引き起こすことはまずないだろう。
心電図を取り付け眠っている君のカラダを大量に用意した氷で少しづつ冷やしていく。すると、少しづつ心拍数は弱まっていき、やがて心臓は止まった。それから、血液を抜いて、細胞が壊れないようにするための薬剤を血液の代わりに身体に注入していく。血液はすぐに冷凍保存をした。
僕も富士本も、これがバレれば現行の国内法の刑罰規定によって重い罪を背負う事になるだろう。刑法上の構成要件をいくつも満たす行為をした。しかし、これしか方法はないのだ。時間を止めてしまう以外に方法はないのだ。この冷凍保存を
まず完璧に行うしかないのだ。だから僕はこれを行っているのだ。
今行っている行為は本当に犯罪なのであろうか?本当に僕は罪人なのであろうか?この僕の想いを、純粋な「生」に対する想いは、人を殺めているわけではないのに、未来に、この命を繋ぐ事が目的であるのに、僕は罪人だという理不尽なこの国の刑法を疎ましく感じた。
僕は富士本の協力の下で君の時間を止めることに成功した。-196℃の液体窒素の中に君を沈めた。蘇生させる方法は、きっとすぐに見つかるだろう。、冷凍保存した動物の蘇生を成功させたアメリカの教授が研究をし続けるであろうから、そちらの進歩の方が早いであろうから。
僕は、君の疾患の研究をするのみだ。
もう一度、君の笑顔を見るために。
もう一度、再び美しい君を見つめて微笑む為に。
END
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